しばにゼミご報告 -潔さ-

2020.01.26

1月19日、20日に開催しましたしばにゼミ。
今回のテーマは、“潔さ”“わだかまりの無い心”でした。
しばにさんは、下記の2人の曹洞宗のお坊さんの本の抜粋より、
このテーマを導き出してくださいました。

 

★「食えなんだら食うな」関大徹(曹洞宗僧侶)

★どの場所も、人間の正念場であるわけです。すべてそうなのです。
こっちの方がよくて、あっちのほうがよくないというように、
よりごのみ、つまみ食いをしているから、ものがわからん。
どこもここも人間の正念場です。
生まれてから死ぬまで、全部正念場の連続です。
今日こそ正念場だ、などと思っているからわからんのです。
これだけは違う、というところはないのです。

自分の正念場にしゃんと腹をすえるということは、やはり自分に従っていくことです。
自分というのは個のワタシじゃないのですよ。天地の姿を現じている、
このワタシがやっていることが全部正念場だということです。

朝起きて、寝るところまで、全部正念場です。
より好みをして、自分の好き嫌いでやっていたのではだめです。
いいことばかりあるわけではないのだから、全部それが正念場だと思ってやるのです。

人間が生きる上でいろいろな職業につかなければならないわけですが、
わりのいいものも悪いものもあるわけで、どれもこれも、
そういう人生の大事から考えてみると、同じように正念場です。

比べてみれば、いい時も悪いときもある。
何がいいのか悪いのか、自分で勝手に決めるから、いい時も悪い時もできるのです。
全部天地の姿です。

『いたるところ道なり』
余語翠巖(よご すいがん 曹洞宗師家会会長)著

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皆さまいかがでしょうか?

「食えなんだら食うな」という一言は、若いお坊さんが、関氏のもとへ
やってきて、「自分のお寺は収入がないが、結婚もしたい。結婚をしたなら子供も欲しい。でもそうなると食べていけない」などと話し出したそうな。そんな彼への返答です。

「今ごちゃごちゃと話さずに、結婚したいならしてみろ!子供欲しいならそれでいいじゃないか。やりゃあいいんだ」という関氏の言葉が聞こえてくるようでした。

人間みな、したいやりたいと言いながら、行動に移す事なく、
できない理由を考えてはいないでしょうか?
できない理由を探して、箇条書きにしていたら、きっと死んでも
できないでしょう。

とある和尚様が私と友人の悩みを色々聞きながら、最後に一言
仰ったのが、

「死ぬまで間に合います」。

でした。この一言でなんだか色々なわだかまりが吹き飛んで、
「あぁ、やればいいんだな」と思えたのが懐かしいです。

人生にはどうやら、いろんな場面で「潔さ」が必要なようです。

また、人間は相手がどうだから、環境がどうだから、と周り
を理由にして色々言いますが、実はすべてそれは自分の心
にある「わだかまり」なのだというお話も、しばにさんが
してくださいました。

自分に嘘のない毎日、人生。全部が正念場という日々は、
やがて迎える死に様にも出るような気がします。

生き様が死に様。近頃そう思うような出来事が私の周り
にも起こっていますが、余語翠巖氏の著書にも、そっくり
そのままその事が書いてあるそうです。

どのような死を迎えたいかが、今を変えてくれるような
気も致しております。

自分がこの人生に幕を下ろす時、どうありたいですか?

病を得たり、老衰して、死が目前に近づいてから自分を
変える事は並大抵ではできません。
小さな決断や潔さ、わだかまりの無い心、瞬間が正念場
という生き方をしてこそ、大きな決断も自身で下せる
のだろうなと思うのです。

しばにゼミ。
しばにさんも私も、参加者の皆さんと同様、考える機会
をいただけて、ほんとうに有意義な時間となっています。
参加者の皆さまがいらしてこそ。心より感謝申し上げます。

次回は未定ですが、毎回お越しくださる皆さまとお目に
かかれますのも楽しみですし、どんな新しいご縁がある
のかも楽しみです。
次回開催日が決まりましたら、またブログにてお知らせ
させていただきます。
どうぞよろしくお願い致します。

※お話会の前に、丁寧に心を込めて、自分自身と向き合いつつ作るお料理。今回は、蓮根バーグと薬味たっぷりのつけ麺うどん、芝蘭豆腐でした。
しばにゼミはあくまでもお料理教室ではありません。その後のお話会に重きを置いています。お見知りおきくださいませ。