しばにゼミ ご報告

2019.08.03

境内はすっかり盛夏の装い。太陽の光、暑さに負けじと木々や草花の緑も濃く力強さを感じます。
随分前に終わったはずが、ぽつり、ぽつりと咲いていたり、蕾をつける紫陽花が目に入ります。
以前の私でしたら、「季節外れの紫陽花」としか見なかったと思いますが、自然のサイクルは天の采配、そこには完璧な美しさしか無い事を境内から教えられ、きっとこの子たちはただただ、今咲きたいのだ、ただそれだけなのだと思いました。

人間の都合や勝手で「季節外れ」と言ったりしますが、ほんとうはそんなものも無いのでしょう。

「少数派」というものを排除したり、多くの人と同じである事を強要する社会が現在の日本かもしれませんが、自然を見ていても、色々あるのが当然で、それはそれで良いのであって、どうという事は無いのだと教えられます。「多様性」という言葉をよく耳にするようになりましたが、自然から教えてもらうのが一番だと思えます。

さて、前置きが長くなりましたが7月10日、11日に開催しましたしばにゼミのご報告です。
今回も、遠くは神戸や三島からおこしくださり、もはやこのような集まりに物理的な距離というのは関係ないのだな、その人の気持ち次第なのだなと教えられました。

今回の美味しいお料理とテーマについては、しばにさんがご自身のブログでご報告してくださっていますので、そちらをご覧になってみてください。

静かに深く考え、話し合った1日目。ここ最近こんなにも笑った事は無かったと思えるほどに笑った2日目。全く雰囲気の違う二日間でしたが、根底に共通するテーマはやはりどうしても「自分を生きる」という事になっていたように思います。

テーマについて話すうちに、ご家族の介護の話、病の話などがどうしても出てきます。自身ではどうしようもない事に対して、どう向き合うのか。自分の心のもちようをどうするのか。

世間体を気にしたり、自分が自分で勝手に鎧を着てみたり、なんとも人間の心というのは不必要と思えるような事までしてのけてしまうわけですが、またその葛藤を乗り越えたところに、新しい自分、本来の自分に近い自分と出会えてゆくのでしょうか。
二足歩行になり、知性智能が発達した人間に課せられた業なのでしょうか。

京セラ会長の稲森氏が新刊を上梓され、そのタイトルも『心。』でした。人生で起こってくるあらゆる出来事は自らの心が引き寄せたものであり、すべては心が描いたものの反映である…というような事を仰り、またそれは、この世を動かす絶対法則だというわけです。稲盛さんも長く臨済宗の老師のもとに通われ、禅の修行をなさった方です。

さらに私が今、三日坊主にならぬように実践しているところの「歩行禅」ですが、その実践本を上梓された塩沼亮潤大阿闍梨さまも、思考がプラスでいる事が多いほど、人生もそのようになってゆくと説いておられます。

さまざまな賢者が説く真理はやはり、宗教的体験や修行から出てきたものであり、それはどこから来たのかと申しますと、大自然や宇宙の法則からきているようです。

自然豊かな山に抱かれたこの東慶寺の白蓮舎で開催するしばにゼミで、皆さまの心模様をお聞きしたり、自分の事を見つめたりする時間は、人生のままならぬ事もしっかり受け止め、不安から抜け出し、プラスに転換、変換してゆく機会をいただいているような気がします。
料理に集中し、しっかりみなさんと意見を交わし合う時間は、前回にも増して、私にとりましても貴重な時間になって参りました。

次回はまた先になりますが、開催日が決まりましたらまたこちらでご案内させていただきます。
どうぞ今後とも宜しくお願い申し上げます。