ご無沙汰しております。

2020.05.27

皆さまこんにちは。
コロナの影響により、普段と全く同じ生活の方はほぼいらっしゃらないかと存じますが、いかがお過ごしですか?

私はと申しますと、空いた時間には、普段できない庭仕事に精を出し過ぎ、ブログの事をすっかり忘れておりました…。
東慶寺では拝観をとりやめて以来、出勤してきてくれる職員も1人~3人ほどと、ひっそりと静かに過ごしておりますが、有難い事にやる事はいくらでもあります。

 

普段はお檀家さんの法要、参拝の対応、電話対応、取材対応、来客対応などに追われるままに一日があっという間に過ぎ去っていっておりましたが、強制的に立ち止まる機会を与えられ、少しずつ色々な変化が生まれております。

まずは、以前から和尚が、職員のお昼ご飯には僧堂(臨済宗の修行道場)で使う持鉢(じはつ)を使ってもらいたいと思っていたのですが、なかなか踏み出せずにおりましたが、この機会に使ってみる事にし、使い方に慣れてきてからは、食前食後のお経も唱えるようになりました。

食を見直すという事は、食材や調理方法を見直すのみならず、いただき方をも見直す事でも生まれる変化があると思うのです。
特に食事五観文では、その文言のとおり、食材を作ってくださった方、調理をした方への感謝や、このような食事をいただけるほどの行動をしたのか、いただけるような自身なのかという事を振り返ったり、むさぼりの心から離れ、この食事が自身の身体と心を作る事、そして仏道を歩み続ける事を誓います。

“意識”とは不思議で、するとしないでは全く違った結果、未来を生み出すものと思っています。もしかして、やらされているだけの人?もいるかもしれませんが、言霊という言葉が表すとおり、口に出して発言する事には力が宿ります。

さらに、和尚さんが時々まかないを作ってくれるようになりました!
在宅ワークになったご主人の中にも、そのような方がいらっしゃるのではないでしょうか。
几帳面で研究熱心な性格?が発揮され、今や、土鍋羽釜で、誰よりもおいしくご飯を炊いてくれます(ごはんは近頃毎日和尚さんの担当です)。
白いご飯がほんとうに美味しいという事が、これほどに豊かであるのかと思い知らされるほどです。
ちなみに現在は、お米を研ぐところから炊くまでは土井善晴先生の方法を、火にかけてからは、土楽窯・福森道歩さんの方法を実践しております。

同じごはんでも、炊く人で全く違った味わいになります。一番シンプルなことだからこそ、ごまかしがききませんし、その人の心が一番に現れるという事を思い知らされ、普段の私のご飯の炊き方をいたく反省しております(反省しつつ炊いてみても、なぜか和尚さんのように上手に美味しくは炊けません…)。
さて、6月18日までは閉門を決めておりますが、19日以降、開門するかどうかはまたお知らせするつもりでおります。
境内は大きく変化している場所もあり、小さな変化を加えている場所もあり、さらに今後も変化させてゆくつもりです。
お参りの方法なども、今回色々考えさせられ、いずれ違った形にしてゆこうと色々策を練っております。

 

また、東慶寺には立礼茶室・白蓮舎という建物があり、普段はお写経会場として利用しておりますが、緑に囲まれ、静かで、学びの場にうってつけの場所なのです。
その白蓮舎で開催する新たな講座を昨年より模索中です。

禅寺ですから、坐禅会も行っておりますが、坐禅に入る前段階として、心身が整っていなくては心地よく坐れないわけです。そこで、皆さまが自身の心や身体を整える助けとなるような講座ができればと考えております。

私自身、これまでの人生で東洋医学や自然療法といった類のものに多く出会い、助けられた経験があり、今はその中で自身が心地よいと思えるもの、助けになると思っているものを取り入れて生活しています。
講座で学んだ事をさらに深めるかどうかは、皆さまご自身それぞれの道であるとして、まずは出会ってみて欲しいという願いがあります。そんな出会いの場を東慶寺で作ってゆければと思っております。

これは今年かはたまた来年スタートになるかどうかといったところですが、コロナをきっかけに、さらにやらねばならぬとの思いが強くなりました。
多くの人が自分の健康をできるところまでは自分で守り、高めてゆける事で、医療費の負担を下げてゆく事ができるようになると思いますし、
自身を注意深くみつめる事は、生き方をも変化させてゆきます。禅宗でいうところの「本来の自己」に出会う契機ともなるでしょう。
最終目標に到達するのには、いろんな道があって良いと思うのです。

コロナでも免疫力アップをと言われますが、いきなり言われていきなりアップできるものでもないでしょう。日々の積み重ねが大切です。

「禅はどこにでもある、どこにでも転がっている」と言われますが、だからこそ禅寺でできる事の可能性は無限大ですし、その素晴らしい環境の中で、いろんなものを拾って帰って、自身の物にしてほしいと思っております。

そう、長らく開催できずにおりました、体験茶道やお写経坐禅会やおやこ論語塾なども再開する予定でおります。現段階での情報はHPにありますので、ご確認ください。

病気でもコロナでも、よく「闘う」という言葉が使われますが、私自身はその言葉には抵抗を感じております。

ほんとうに闘うべきは、変えられない変わらない自分や固定観念、これまで人間が犯してきた過ちを繰り返さないようにする事ではないでしょうか。
敵とみなしてやっつけて、ほんとうの終わりと幸せが来るのでしょうか。

経済優先の世の中がこれ以上続いて、本当に人間が真の幸せを手に入れる事があるのかどうか、もう本当はみんな気づいているのではないでしょうか。

いつだったかインドを訪れた時、「なんで日本人はそんなに忙しく必死に働くの?そこまで働かなくても、俺たちは家で畑をしているし、そんなに困らないし幸せだ」と言われ、何も言い返せなかった事を、近頃よく思い出しています。